代表挨拶/

Message from the Representative


「派遣切り」

かつて社会問題となった不当解雇を忘れてはいけない。

 

20代前半、私はこの派遣切りを受けた当事者です。

突然の解雇通告。

職場の上司からは「キミが必要だから、これから5年でも10年でも働いてください。」

そう満面の笑顔で言われていたのに、青天の霹靂とはこの事か・・・。

 

生産量によって簡単に人を増やしたり減らす派遣先。

何も反論できない派遣元。

 

「人の人生はそんな簡単じゃねぇんだよ!!」

全身からこみ上げる怒りと社会に対する不条理。未来に希望なんて持てるはずがない。

 

会社寮に住んでいた私は、家と仕事を同時に失った。

 

心が弱いだけでなく反逆の精神も乏しく、やがて労働意欲を失い社会から遠ざかることに。

目的の港を失った水夫のように大海をもがく毎日だった。

 

大田区蒲田でネットカフェ難民。その後、24歳という若さで川崎を彷徨うホームレスになった。

 

魂を揺さぶるホームレス仲間と奇跡的な出会い。

生きるためのエネルギーをもらい、風俗店の従業員として働き人生をやり直した。

 

27歳で移動体通信の仕事を始め、生きる事の喜びを少しずつ取り戻す。

30代前半で病気を患い、右眼の視界をほぼ失うが、自分でも驚く程前向きでエネルギーに満ち溢れる。

 

人との出会いでこれ程気持ちは変わるのか…。

30代後半で「人を救えるような会社を設立したい」と人生を懸ける覚悟を持つ事ができました。

 

人生はうまくいかない事の方が多いと私は感じています。

簡単じゃない、だからこそおもしろい。

紆余曲折ありましたが「人のため、社会のために生きたい」そう強く思い胸を張ります。

 

小さな会社の小さい経営者ですが、「誰よりも人の痛みが理解できる」と自負しております。

 

自動化が進む昨今。

AI(人工知能)は今後驚く程の進化を遂げるでしょう。

 

それでも゛人間の価値゛は、揺るぐ事のない社会のコアになると信じています。

 

「人に寄り添い、人の幸せを考える」そして

゛サービスを支え、社会と繋がる企業としての価値゛を今後も追求していく所存です。

株式会社アッシュゴールド

代表取締役

代表者の容姿と半生


↑キャロットのつぶやき

覚悟の瞬間 株式会社アッシュゴールド 金杉幸太郎
HISTORY 株式会社アッシュゴールド 金杉幸太郎

1979. 11

この世に生を受ける。

生まれて2週間で父親が1000万円の借金を残し蒸発。

1979. 11-

 

小学校教諭の母親が息子二人を驚異のエネルギーで育てる。

祖母からも全力のサポートを受ける。

1992. 3

伊東市立南小学校卒業

1993. 4

中学2年>どうしても役者になりたく、母親に土下座をして東京の養成所に通い始める

1995. 3

伊東市立南中学校卒業

1997. 3

高校2年の終わり、突然吃音を発症し役者の夢を諦める。

※吃音ー言葉が円滑に話せない疾病、または障害。「どもり」とも呼ばれる

1998. 3

私立大学を7校受験し、全て落ちたので進学を諦める

1998. 3

静岡県立伊東城ケ崎高校卒業

1998. 4-

2002.7

神奈川で一人暮らしを始め働く。脳梗塞を患った祖母の介護のため実家に戻る。

祖母が他界し実家を売却。

2002. 8-

2004.2

再度神奈川で暮らし始めるが、吃音に悩まされ何度も自殺を図る。

寡黙な兄から「今死んでもお前が生きた証は残らねぇぞ!」と言われ心に刺さる。

2004. 3-

2004. 11

好転することはなく派遣切りを食らい、仕事と家を同時に失う。

ネットカフェ難民を経てホームレスになる。

2004. 12

ホームレス仲間に助けられ、風俗店の従業員として人生をやり直す

2007. 12

移動体通信の仕事を始める。

電波の測定や解析、プロジェクト管理などエンジニアとしての経験を積む。

2014. 3

右眼網膜剥離を患い失明の危機に陥り、再発や合併症など4度の手術を受ける。

後遺症が残り右眼の視界をほぼ失うが、驚く程前向きでエネルギーに満ち溢れる。

2016. 7

独立し自営業を始める。

年商5000万円を超えたら法人設立と大きな目標を立てる。

2019. 6

株式会社アッシュゴールド設立